奇跡的な出会いのきっかけや運命的な結婚までの道のりを・まとめています。エピソード体験談

気候を選んだプロポーズが大事

2016年3月7日

結婚のエピソードとしてすぐに頭に浮かぶのはやっぱりプロポーズの日です。

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8年間付き合った彼女にプロポーズしようと色々と悩みました。友人に相談したり、ネットで調べたりと…。なかなかこれってものに出会わず、どうしようかと思っていましたが、彼女と地元が一緒で海に囲まれた場所で過ごしてきたので、海でプロポーズしようと考えました。砂に文字を書いたり、、海に向かって大声で叫んだりと色々考えましたが、やっぱり自然な会話の中で伝えたいと思ったのでいつものデートみたいに彼女を海へ誘いました。ただ、誘ったのが2月の海。

風は吹いていなかったのですがやっぱり寒かったです。自動販売機であったかい飲み物を買い、「寒いね?」とか言いながら何気ない話をしていました。実は誘ったその海は一番最初にデートをした場所でもあり、「そういや8年前ここで初めてデートしたんだけど覚えてる?」っていう会話から、これまで行った場所の話や一緒に買い物をした話、一緒に参加したイベントの話などこれまでの思い出話をひとしきりやりながら、「懐かしいねぇ」なんてことを言っていました。途中、海を近くで見に行ったり、砂浜で山作ったり、山に木を立ててどっちが倒さずに砂を取れるかなど、子どものやるような遊びをやっていました。そんなこんなしていると結構時間も立ち、そろそろ言わないといけないなと思い始めました。

もう一度座っていた場所に戻り、次のデートで行きたい場所や食べたいものなど予定を立て、帰る雰囲気になっていたところで、決心して話をし始めました。短くスパッと言えればよかったのですが、なかなか言い出せず、さっきやっていた思い出会話をなぞる様な感じで話を続けてしまったので、この女の頭の上にはハテナマークが付いている様でした。

この人どうしたんだろうみたいな。あれこれ言ってもしょうがないと決心し、いざプロポーズの言葉(シンプルに結婚してください。)と言おうとしたその時でした。少しは感じていたのですが、風が吹いてきており、その瞬間に結構な風が吹きました。彼女はコートをぎゅっと握って一言「寒いから帰ろ」と言いました。嘘みたいな話ですが本当です。

何が起きたかよくわからずそのまま車へ。「寒かったねぇ」って彼女。機会を失った僕はどうすることも出来ず、ただただ彼女の家に車を走らせました。その道中で「そういやさっきなんか言いたそうやったね。」って彼女が言うので、そこで「結婚しよう」って言いました。彼女は笑いながら「そういうのって、もっと気の利いた場所で言うもんじゃないの?今外寒いし。」って言われました。ただそのあとO.Kしてくれたのでよかったですが、本当に気候と場所は考えないといけないと感じました。

なかなか決断しなかった彼がやっと…

2016年3月7日

結婚や子どもにあまり興味がない彼からプロポーズをされるまでの話です。

 私には付き合って3年半になる彼氏がいます。出会ったのは高校生の時でしたが、当時は付き合うことはなく高校を卒業し大学も卒業しました。その後会う機会があり社会人になってから付き合い始めました。彼からの告白に押されて付き合い始めましたが年齢を考えると、「きっとこの人と将来結婚するんだろうなぁ…」と付き合った当初から感じていました。しかし1年、2年と経っても結婚の話など1度もすることなく過ぎていきました。よくカップルで言い合いそうな、「将来は子どもが2人欲しいね!」とか「ずっといっしょにいようね。」というような甘い会話は一切ない私たち。このままで大丈夫なのかと心配する日々でした。付き合って2年になる頃、不安な気持ちが大きくなり、「20代で結婚するつもりはあるの?」と彼に聞いてみました。本当は直接話したかったのですが、勇気が出せずにLINEで聞きました。その答えは「20代でとか、いつまでにとかは考えていない。まだ結婚は考えられない。」とのことでした。その答えにショックを受け、別れるべきか自分が我慢をしてでも付き合い続けるのかと悩み続けました。付き合って2年~3年の間はずっと悩み続けていたような気がします。別れて結婚願望が強い人を探すべきか、別れたとしても結婚したいと思えるような相手に出会えるのだろうかという考えが頭から離れませんでした。

 もう一度彼と結婚について話をしようと思ったのは付き合って3年を過ぎてからでした。私は仕事のことで将来が不安で仕方がない時期がありました。1年後はどうなっているんだろうと将来が見えなかったのです。仕事が不安な上に結婚の話も進まない。どうしてもそれに耐えられず、「結婚にも子どもにも興味がない人とこれからどうやって付き合っていったらいいかわかんなくなっちゃったよ…。」と彼に打ち明けました。もう振られてもいいから彼の本当の気持ちが知りたくて勇気を出して言ったのに、その話題を流されそうになりました。悲しみと怒りでしばらく私からの連絡を絶ちました。すると彼から「今度はちゃんと話をするから。」と連絡がきて話をすることになりました。私の家に遊びに来てくれましたが、しばらく連絡を絶っていたこともあり気まずいムードに。私はきっと振られるだろうと思っていたので話をする前から涙が止まりませんでした。私の横に座り、肩を抱きかかえ、「なんで泣いてるの?」とからかうように声をかけてきた彼。そして、「今すぐとは言えないんだけど…、結婚しようか。」とプロポーズをしてくれました。振られることしか考えてなかった私は驚いて何も言えませんでした。「無理してないよね?本当にいいの?」と返すのが精一杯でした。

 その日以来結婚に関する話題もしっかりと話してくれるようになり、同棲や入籍する日、親への挨拶などどんどん結婚に向けて前進しています。友達にも結婚することになったと報告をしていると聞いて、本当に嬉しく思います。もし私から何も言わなければ今もなんとなく付き合う日々が続いていたのかもしれません。勇気をだしてあのとき聞いておいて良かったと心から思っています。悩んでいた期間が長かった分、結婚に向けて動きだした今がとても幸せです。

結局はまさかの社内結婚

2016年2月26日

結婚を意識したのは、30歳を目の前にする直前でした。
尊敬する入社4期上の先輩が結婚もしていなかったのですが、仲良くさせてもらって夜一緒に飲みに行っていましたが、漠然と今は確かに楽しいのですが、このままでいいのかなと感じていました、30歳を目前にした時に先輩を見ていて多分このまま行ったら先輩と一緒の道を辿ると感じて、結婚相談所に行くことを決心しました。
例え結果として、離婚をすることになったとしても、生物学的に子孫を残さないとこの世に生まれた意味がないのではないかと思いました。
もう10数年も前の話になります、今はスマホでマッチングしてとある意味お手軽ですが、当時入会した相談所は、月1回2人の相手のプロフィールが送られて来て会ってもみてもOKなら、相談所にその旨郵送で返信し、お互いOKなら相談所にて面会し、その時に印象で連絡先を交換してもOKなら、相談所の伝えて相手の連絡先を教えてもらうシステムでした。
当時2年の契約で30万だったと記憶していますが、そこそこ紹介→面会まではこぎつけていました。
近隣の県も網羅している相談所だったので、となりの相談所に面会に行くことがあり、支店の相談所に行ったときに事件が起こりました。
なんと偶然にも上司の奥さんが勤めていたのです、面会は土曜日だったのですが、翌週残業中に上司がやってきて、さも弱みを握ったように「先週土曜日どこに居た?」との質問、すかさず「○○です」との返答にそこに奥さん勤めているんだとのカウンター・・・、世間とは狭いものです。
しかし、「別に悪い事はしていません、婚活(当時はこんな言葉はありませんが)してます。」、それ以降レギュレーションでは、月2人のプロフィール紹介案内が何故か4人に倍増(笑)しました。
アフターファイブの時間のやり繰りが困難を極めました。
しかし、ここまでのコストをかけておきながら、社内の後輩とひょんなやり取りと回りの援護射撃があり、婚前妊娠は無いですがお互い知らない仲では無かったので、交際3ヶ月で9ヶ月後には挙式しました。
プロポーズの言葉は、長すぎて自分で(妻も)も覚えていませんが、10年経った今は子供2人に恵まれケンカは堪えませんが、お互い言いたいことを言っている関係だと思っています。
自分でもまさか社内結婚するとは夢々創造していませんでしたが、デート中に見つかっても仲の良い先輩後輩で飲みに行っているで済むので特に気にしませんでした。
最終的には社内結婚でしたが、自分の中で結婚しようと意識した結果のなかでの道筋の中で相談所に登録も色々な方に出会えて糧になったのかなと今では感じています。
世知辛い世の中ですが、人生経験の一環としてと言うか生物としての一環として結婚はするべきだと思います。
結婚したらしたで色々な苦労があるのは、「結婚は人生の墓場だ・・・」に代表されるように、少なからずうっとうしい事もあるのも確かですが、個人的には結婚して良かったと感じています、良い出会いがあることを祈ります。”

この人と結婚してよかった!地獄を乗り越えてのゴールは幸せです。

2016年2月7日

10年以上長く付き合っている彼氏がいました。

30代になった時、この人とは結婚しないんだろうな…と少しずつ思い始めていました。

彼のDVと我儘が酷かったので、一生この人についていく…と言える程、私ももう若い御嬢さんではありません。

そんな時に出会った男性が、20代後半の年下の男性でした。

職場で一緒に仕事をしている時から、本当に仕事が出来て、コミュニケーション能力が高い人だと、

相まってとても人気があり、女子の話も絶えない。

珍しく男性に対して良いイメージを持ったのを覚えていますが、住む世界が違う人だと思っていました。

二人で仕事をする時間が増え、距離も近づいていた頃、突然の彼からの告白。

「幸せにしたいから、今の人とは別れてほしい」と言われ、自分よりも才能も若さもある彼の魅力に惹かれながらも、断る事にしました。

彼はどこに出しても恥ずかしくない、男女共にモテモテの誰もが羨む男性だったので、

私じゃなくても大丈夫だろうし、何故私なんだろう?騙されているのか?という疑念の方が強く、

考えがまとまらないのでちょっと時間をくれ、と話しました。

そんな話をする事もなく、10年以上付き合っている彼は、

相変わらず情緒不安定で、束縛も酷く、恐怖に怯える日々。

30代になって、今まで何故我慢してきたんだろう、という客観的な目で自分を見た時に、これ以上我慢する必要はない、という気持ちが湧き上がり、

職場の彼に、「ちゃんと別れるので、それまで少し待ってもらえますか?」と伝えると、

「自分は初めて結婚したいと思った人だから、リスクおかしてまで告白したんで、いくらでも待ちます」と、嬉しそうに答えてくれました。

決意してすぐ、行動にうつし、別れ話を告げました。

勿論、別れるのはとてつもない地獄でした。

包丁を持ち出して心中しようとしたり、警察沙汰になったり、それでも別れる意思が相手にはなく、説得を続ける日々。

「普通に結婚して子供が欲しい!もう我慢したくない!」とはっきり告げると、

子供も結婚も、自分の範疇になかったせいか、言い返すことができなくなり、

無事、別れる事になりました。

綺麗に別れられないとこんなに大変なのか…というくらい、その地獄はしばらく続きました。

彼自身が行方不明になったり、リストカッターを繰り返したり、それをアピールするように、

私に対してのストーカー行為も始まりました。

現在の彼に申し訳なく、面倒な女と付き合ってしまった…と思ってほしくなかったんですが、

行方不明になった…と相手の親から連絡がきたり、友人から自殺未遂の連絡がきたり、

前の彼の対応に追われる日々が続き、精根尽きて疲れ果て、

「ごめんね、面倒な事になって…」と謝る事が多くなっていた頃、

「貴方は大丈夫?幸せにするって言ったからには、俺にも、その相手にも我慢はしなくていいから」

「頑張って縁を切るのも、無視するのも、俺に頼るのも、やり方は貴方が楽なやり方にしなさい」

と、私に対して面倒に感じたり、相手に対して怒ったり、こうすればいい!とか、俺がこうしてやる!というわけでもなく、自分のやりやすい方法で結論つけるように言われました。

別れるのは本当に大変でしたが、

彼との絆は強くなり、すでに結婚から2年近くになります。

あの時の自分の判断の正しさや、苦労が報われるように、今とても幸せです。

職場恋愛で出禁になった同僚たち(自己責任でしょう?)

2016年1月7日

旦那の職場は、訳あって、「野郎」ばかりでした。

恋愛結婚でしたが、私の職場の先輩たちの政治思想が、どちらかというと野党系の発言をする方の多いところだったので、旦那の職場のお偉いさんからキッツイ反対があったのを、いまにして思えば、『若気の至り」「怖いもの知らず」で、今も現役の名前を聞いたら「ああ」という政治家さんと、仕事の連絡係で気に入られていたこともあり、愚痴ったら、手のひらを返したように賛成されたのは、驚きました

まあ、すったもんだあり、仲人も「なぜに?こんなお偉いさんが自薦?」でしたが、市内の当時はNo.1のネームバリューのある(皇族のための貴賓室もある)ところで、華燭の延を執り行いました。

参列者も職場の野郎だらけ…ケーキ入刀しても喜ばないだろうとの判断で、地元の門出にぴったりなネーミングの酒蔵に頼んでの鏡開きにしました

しかし、それが、原因で しばらく職場の関係者の披露宴はお断りになるとは思いも寄りませんでした。

野郎の集団 +酒樽= 「飲むぞ!」「おお!!!!」

仲人さんは桝を旦那に渡して「汲んで来い!」→ 花婿は高砂に不在で、酒樽からのお酌係決定

お色直しで席を外したうちに 酒樽1つは飲みつくされ… 筋肉ダルマたちは、最後の1滴も無駄にするまじと担ぎ上げて滴までのみ切りました(見ていた身内のはなしですと)

たる酒なんて 彼らにしてみれば、「ライオンの前に肉の塊おいた」、「飢え切ったハイエナの前のえさ」でした

用意したビール、ワイン、ウイスキー、日本酒、焼酎も1時間もたず、最終時間の披露宴だったため、別会場で使わなっ方物を、』急きょ、運び込んで対応してくれました。

私の勤め先の最高責任者の息子さんが、ホテルを経営していた大手企業の社長の覚えがめでたかったとかで、かなりの値引きをしてもらい。

テーブルの花も本社社長の好意でプレゼントされ、酒樽もなぜか3つあったり?

1つしか請求こなっかたのに?(そちらはのちに、贈収賄事件で日本を沸かせた当時の専務のプレゼントだった)

それらも完食?完飲?された結果、飲みすぎた屍累々…の状態

さすが、日頃から鍛えている猛者たち、回収もお手のもの…だったようで、その点はホテルからお褒めをいただきましたが、宴会場の2/3は酒瓶の倉庫か?というくらいに瓶と樽が積み重なっていたそうです

わたしたちの披露宴以降、「大変申し訳ございませんが、そちらにお勤めの方の宴会とうは、ご遠慮させていただいている」と言われるようになったそうです

約5.6年は旦那のいた部署の方々には申し訳ないことをしたな、と良く、』笑い話になっていました

バツいち結婚に至った経緯について

2016年1月1日

私は25歳で勢いにまかせ右も左もわからず結婚してしまい、27歳の時に離婚しバツいちになった過去があります。離婚をする際は本当にもめましたし、悲しい思いをたくさんしました。

そんな私ですから結婚は実際もうこりごりだと思っていましたし、離婚した後は開放感でいっぱいで結婚のことは全く考えられませんでした。そんな私が今の旦那に会い29歳の時に毎日のようにプロポーズを受け断り続けていました。

しかしある時僕と結婚する気がないのならもう一生会わないと宣言され、私との関係を一切絶ち、友達としてもつながりを持たないと言われてしまいました。私は突然の彼の宣言にうろたえ、あわてて電話するも『今度かけてくる時は

僕と結婚すると決断した時だけにして欲しい』ときっぱり言われて言葉を返す暇もなく電話を切られてしまいました。そして一人になって考えた時、ちょっとしたことなどもすべて彼に相談に乗ってもらいアドバイスを受けていたので自分だけでは決断できないことも多々あることに気づきました。結婚に踏み切らない私にしびれを切らしたのはわかりますが、私にとってはあまりにも唐突すぎました。しかしそんな状態がしばらく経って改めて冷静に二人の関係を見つめなおしてみると、私はあまりにもいろいろと彼に頼ってしまっていて彼はもはや私の人生の中でいなくなってしまうのは耐えられないと思いました。

しかし本当に心の底からもう結婚はこりごりだと思っていましたが、しぶしぶ彼と結婚することに同意しました。彼は初婚でしたし、結婚式は200人ほど呼んでかなり盛大にやりました。しかし結婚式の当日まで彼は私が逃げ出してしまうのではないかと思いかなり何度も何度も結婚式当日に逃げ出すようなことがあれば一生許さないというようなことを言われました。

私はすでに腹はくくっていましたが、彼にはなかなか信用されなかったみたいです。そんな風に始まった私の結婚ですが今年で10年目を迎えます。かわいい二人の子供にも恵まれあの時に彼があの時無理やりにでも私に結婚を迫ってくれて本当にありがたいと心から思えるようになりました。そうでないと今頃もきっと私は独りっきりのままだったと思います。

たしかに結婚はいい時期も悪い時期もありますが、やはりいろいろなことを二人で乗り越えて行くたびになんだか家族に絆が深まっていったように思います。もし結婚に二の足を踏んでいるような人がいたらだまされたと思って始めてみたらいいと自信を持っておすすめできます。