Category: きっかけ

結局はまさかの社内結婚

2016年2月26日

結婚を意識したのは、30歳を目の前にする直前でした。
尊敬する入社4期上の先輩が結婚もしていなかったのですが、仲良くさせてもらって夜一緒に飲みに行っていましたが、漠然と今は確かに楽しいのですが、このままでいいのかなと感じていました、30歳を目前にした時に先輩を見ていて多分このまま行ったら先輩と一緒の道を辿ると感じて、結婚相談所に行くことを決心しました。
例え結果として、離婚をすることになったとしても、生物学的に子孫を残さないとこの世に生まれた意味がないのではないかと思いました。
もう10数年も前の話になります、今はスマホでマッチングしてとある意味お手軽ですが、当時入会した相談所は、月1回2人の相手のプロフィールが送られて来て会ってもみてもOKなら、相談所にその旨郵送で返信し、お互いOKなら相談所にて面会し、その時に印象で連絡先を交換してもOKなら、相談所の伝えて相手の連絡先を教えてもらうシステムでした。
当時2年の契約で30万だったと記憶していますが、そこそこ紹介→面会まではこぎつけていました。
近隣の県も網羅している相談所だったので、となりの相談所に面会に行くことがあり、支店の相談所に行ったときに事件が起こりました。
なんと偶然にも上司の奥さんが勤めていたのです、面会は土曜日だったのですが、翌週残業中に上司がやってきて、さも弱みを握ったように「先週土曜日どこに居た?」との質問、すかさず「○○です」との返答にそこに奥さん勤めているんだとのカウンター・・・、世間とは狭いものです。
しかし、「別に悪い事はしていません、婚活(当時はこんな言葉はありませんが)してます。」、それ以降レギュレーションでは、月2人のプロフィール紹介案内が何故か4人に倍増(笑)しました。
アフターファイブの時間のやり繰りが困難を極めました。
しかし、ここまでのコストをかけておきながら、社内の後輩とひょんなやり取りと回りの援護射撃があり、婚前妊娠は無いですがお互い知らない仲では無かったので、交際3ヶ月で9ヶ月後には挙式しました。
プロポーズの言葉は、長すぎて自分で(妻も)も覚えていませんが、10年経った今は子供2人に恵まれケンカは堪えませんが、お互い言いたいことを言っている関係だと思っています。
自分でもまさか社内結婚するとは夢々創造していませんでしたが、デート中に見つかっても仲の良い先輩後輩で飲みに行っているで済むので特に気にしませんでした。
最終的には社内結婚でしたが、自分の中で結婚しようと意識した結果のなかでの道筋の中で相談所に登録も色々な方に出会えて糧になったのかなと今では感じています。
世知辛い世の中ですが、人生経験の一環としてと言うか生物としての一環として結婚はするべきだと思います。
結婚したらしたで色々な苦労があるのは、「結婚は人生の墓場だ・・・」に代表されるように、少なからずうっとうしい事もあるのも確かですが、個人的には結婚して良かったと感じています、良い出会いがあることを祈ります。”

職場恋愛で出禁になった同僚たち(自己責任でしょう?)

2016年1月7日

旦那の職場は、訳あって、「野郎」ばかりでした。

恋愛結婚でしたが、私の職場の先輩たちの政治思想が、どちらかというと野党系の発言をする方の多いところだったので、旦那の職場のお偉いさんからキッツイ反対があったのを、いまにして思えば、『若気の至り」「怖いもの知らず」で、今も現役の名前を聞いたら「ああ」という政治家さんと、仕事の連絡係で気に入られていたこともあり、愚痴ったら、手のひらを返したように賛成されたのは、驚きました

まあ、すったもんだあり、仲人も「なぜに?こんなお偉いさんが自薦?」でしたが、市内の当時はNo.1のネームバリューのある(皇族のための貴賓室もある)ところで、華燭の延を執り行いました。

参列者も職場の野郎だらけ…ケーキ入刀しても喜ばないだろうとの判断で、地元の門出にぴったりなネーミングの酒蔵に頼んでの鏡開きにしました

しかし、それが、原因で しばらく職場の関係者の披露宴はお断りになるとは思いも寄りませんでした。

野郎の集団 +酒樽= 「飲むぞ!」「おお!!!!」

仲人さんは桝を旦那に渡して「汲んで来い!」→ 花婿は高砂に不在で、酒樽からのお酌係決定

お色直しで席を外したうちに 酒樽1つは飲みつくされ… 筋肉ダルマたちは、最後の1滴も無駄にするまじと担ぎ上げて滴までのみ切りました(見ていた身内のはなしですと)

たる酒なんて 彼らにしてみれば、「ライオンの前に肉の塊おいた」、「飢え切ったハイエナの前のえさ」でした

用意したビール、ワイン、ウイスキー、日本酒、焼酎も1時間もたず、最終時間の披露宴だったため、別会場で使わなっ方物を、』急きょ、運び込んで対応してくれました。

私の勤め先の最高責任者の息子さんが、ホテルを経営していた大手企業の社長の覚えがめでたかったとかで、かなりの値引きをしてもらい。

テーブルの花も本社社長の好意でプレゼントされ、酒樽もなぜか3つあったり?

1つしか請求こなっかたのに?(そちらはのちに、贈収賄事件で日本を沸かせた当時の専務のプレゼントだった)

それらも完食?完飲?された結果、飲みすぎた屍累々…の状態

さすが、日頃から鍛えている猛者たち、回収もお手のもの…だったようで、その点はホテルからお褒めをいただきましたが、宴会場の2/3は酒瓶の倉庫か?というくらいに瓶と樽が積み重なっていたそうです

わたしたちの披露宴以降、「大変申し訳ございませんが、そちらにお勤めの方の宴会とうは、ご遠慮させていただいている」と言われるようになったそうです

約5.6年は旦那のいた部署の方々には申し訳ないことをしたな、と良く、』笑い話になっていました

まさかのスピード国際結婚

2015年12月7日

私自身のエピソードです。私は約一年半前に国際結婚しました。彼はオーストラリア人で私はオーストラリアに留学中でした。お互い結婚を意識していましたが、事実上私のビザがあと3か月で期限が切れてしまう現実をどうしたらいいのかというのが問題でした。彼は結婚はしたいけどまだ早すぎるという気持ちでおどおどしていたので、いつか結婚するなら遅かれ早かれ一緒だと思う。結婚できないなら私はもう帰国するしかない。とはっきり彼に告げました。そうしたら彼も真剣に考えなおしたようで結婚を決意し、プロポーズなどという夢のようなことはなく、結婚するより他に一緒に入れる道がないからという感じで出会って9カ月で結婚しました。

無理やりのように見えるかもしれませんがお互い決意後はすんなりとお互いの将来を真剣に考えるようになり、まさにタイミングがよかったからできたことだと思いました。

突然の結婚だったので結婚資金などというものはお互い貯めておらず、なんとか両親の助けを借りて結婚式をしようと思ったのですが、彼側はあまり大きい結婚式は望んでいなくてやるとしたら日本だということになり、話を進めていました。

私は海または湖の見えるところで結婚式を挙げるのが夢だったので、沖縄や箱根などをいろいろ調べていたのですが現実問題費用がかなりかかることがわかり断念せざる負えませんでした。

親とも親戚を呼ぶ呼ばないでいろいろもめたりしていったいどうするのがお互いにとっていいのかわからずストレスを感じる日々が続きました。

あるときどうせ彼の家族はこれないのでバランスもとれないし披露宴や式などはいっそのこと辞めてしまったらどうだという父の提案にすんなり納得できました。

ウェディングドレスは着て写真は撮りたかったので、衣装、化粧などすべて自分で用意し、両親だけにオーストラリアに来てもらい、一緒に旅行しながら海の見える場所で記念に写真を撮りました。それでも日本にいる友人たちにはドレス姿を見てもらいたかったのと、感謝の思いを伝えたいこともあり、親しい友人だけ集めたお披露目パーティーをレストランで開かせていただきました。

何から何まで自分準備するのはとても大変でしたが、当日はリラックスして友人と楽しい時を過ごすことができ、友人からもアットホームな感じがとてもよかったと言ってもらえました。

決して豪華ではありませんでしたが、私たちらしい形で、とても思い出に残る結婚ができたのではないかと思っています。今でもとても幸せな結婚生活を送っています。